1  大宰府・筑紫野
◆ 国境石  福岡県筑紫野市三国

肥前国と筑前国の境にある石。ここには元々「標」といわれる国境の目印として松の木が建っていた。それが枯れてしまったので、その代わりとして1807年に黒田藩と対馬藩の間で話し合いが行われ、国境石が作られた。対馬藩城戸村の庄屋と黒田藩原田村の庄屋が交渉したが、松の場所がどこだったかとかもめて、話し合いに2年かかった。

日本の石柱が背中合わせに建てられたものが南北に3本建っていてその線をつなぐと国境線になる。石柱には「従是東筑前国」(これよりひがしちくぜんこく)、「従是西肥前国對州領」(これよりにしひぜんこくたいしゅうりょう)と書いてある。

旧長崎街道で、結構難所だったらしい。今の筑紫野市と基山町の境で国道三号線がどーんと走っている。長崎街道だった面影はもうない。一番右側の写真の右折レーンのところにこの国境石があったらしいが、三号線を作るときに同じ場所のマンホールの下に埋めた。今歩道のところにある国境石はその時作られたレプリカだ。

三本建つ

現在の姿。
◆ 旧九州鉄道城山三連橋梁 筑紫野市
明治22年(1889年)12月11日九州初の鉄道が九州鉄道会社によって開通した。この橋梁は当時ドイツ人技師によって作られた。材料もドイツから持ち込まれたという。
◆ 西鉄筑紫駅周辺開発 福岡県筑紫野市

2006年、最近の福岡の街は、西新姪浜方面、大野城・春日方面が熱い。その大野城方面がどんどん南に延びて次はここ筑紫駅周辺がきそうだ。もう造成などが進んでいて、あっという間に再開発って感じ。筑紫平野だし、この辺が開けたらすごいだろうな。つづく
◆ 旧筑紫駅待合所 〜筑紫駅空襲の記憶〜 福岡県筑紫野市 
1945年8月8日9時25分福岡駅発の電車が井尻駅を通過した頃に空襲警報が出て避難した。ちょうどその時米軍のグラマンがこの上空を飛んでいた。空襲警報が解除されて走り出した。筑紫駅に差し掛かったときに空襲があり、急停車して乗客を避難させようとしたが間に合わず、機銃掃射を受けてしまった。のぼりとくだり両方がそこにいて、上り列車の20名のうち8名が死亡、くだりは200人も乗っていて、56人が死亡。負傷者は100人を超えた。
その当時機銃掃射を受けた駅の待合所が保存されている。
この待合所は大正13年に急行電車の待合所として作られた。
機銃掃射された跡がそのまま残っていて、当時の惨状を今に伝えている。
現在の筑紫駅の近くにある公民館に移築・保存されている。
現在の筑紫駅。100万都市福岡の近郊として更なる発展を遂げている。近代的な駅になっている。
今も待合所が作られた大正時代と同じように急行停車駅、そして便によっては終点駅として活躍している。
◆ 筑豊本線の鉄橋 筑紫野市

筑紫駅のすぐ近く。筑豊本線の線路にかかる鉄橋。
複雑なトラスが美しい。
◆ 五郎山古墳  福岡県筑紫野市 
筑紫野方面は弥生から古墳時代にかけての遺跡が多い。米作が九州にいち早く入ってきて、おそらくそれと同時に金属精製の技術なども入って来たに違いない。そうして金印でおなじみの奴国など強力な国家が形成され、豪族の古墳が出来てきたのだと思う。
この五郎山古墳もそういった豪族の墓と思われる。1947年この土地の持ち主だった山内弥之助さんが、陥没している土地をスコップで掘ったところ石室が出てきた。
6世紀頃に作られた装飾古墳で石室には当時の生活を思わせるような絵や、死者をあの世へと導く船や鳥の絵も描かれている。外からの姿は円墳で、直径32m、高さ7m。
本物の石室、古墳の中も見ることができるようだが、とりあえず五郎山古墳館という資料館があるのでそっちに行くと、石室を復元したものがあり、狭い中を入る体験が出来る。

断面模型

壁画

出土品、須恵器
◆ 大賀酒造  福岡県筑紫市二日市
二日市駅前の酒蔵。福岡県最古の酒蔵。1637年、当時庄屋だった大賀家は、集まってくる米と宝満山の伏流水でお酒を造り始めた。大賀家は福岡黒田家から名字帯刀を認められている名家だった。
いまだに日本酒は人気で玉出泉(たまいずみ)は福岡県内のアチコチの居酒屋で味わう事ができる。
工場内のタンクに水が張ってあって、その水がブルー。名水ゆえだと書いてあった。酒蔵開きの時はたくさん味見できるので
◆ 二日市商店街の夜景  福岡県筑紫市二日市

そして私のカメラのセンスで
さらにゴージャスに見せてる。
二日市商店街は、クリスマス時期すごくきれいなイルミネーションが広場にともる。すごく美しいけれどもよく見ると、照明の機材などはとても簡素なもの。骨組みがビニルハウスのパイプだったり。それでこれだけ美しくできる、その知恵と、飾り付けのセンスに脱帽。これは見る価値あり。お金かければいいってもんじゃない。そう思える素晴らしいイルミネーションだ。

*もし福岡都心部の商業施設並みに大金かけてやってるんだったら、私の目利き違いです。
◆ 福岡県醤油醸造協同組合  福岡県筑紫市牛島
醤油の大元となる、生揚(きあげ)を共同で作る施設。福岡県内の多くの醤油会社が加盟していて、ここで原料となる大豆や小麦を仕込み、麹を作り、発酵させ、生揚を作る。それを各醤油工場で最後の仕上げをして、瓶詰し、販売している。小さな醤油の醸造場では資本力で研究開発などができないので、この組合が研究も行っている。これにより、高い品質のしょうゆが作られてるとともに、地元のしょうゆ工場が大手に負けずにすんでいる。
◆ 筑前山家駅  福岡県筑紫市牛島
筑豊本線原田線の駅。駅の離れのトイレ並みに小さい駅舎。小さいながらも長崎街道山家宿にあるので、その雰囲気を出そうと必死だ。
この駅の奥になんか昔の電車とバスが保存してある。バスは懐かしい感じだし、路面電車はたぶん北九州走ってたやつ。右の小さい路面電車はかなり小さい。こんなスリムなのが走ってたのか。
◆ 竈門神社(かまどじんじゃ)  福岡県太宰府市 
天武天皇の時代、大宰府政庁の鬼門を守るためにこの位置に作られた神社。
生い茂る山の中に佇みとっても素敵な場所だ。中には鹿もいる。
縁結びの神様として親しまれている。
竈門山寺跡
昔はこの辺大きなお寺だった。今でも平安時代の石組みが残っている。
天台宗の開祖最澄が唐に行く時にもココに立ち寄り
◆ 山かげ亭  福岡県太宰府市 

太宰府天満宮近くの狭い路地裏の住宅地にある巨大な邸宅。古くて素敵な家だ。昔誰かの家だった所を太宰府天満宮が買い取って、長らく物置になっていた。その後使えるようにして、現在いろんなイベントなどが行われている。
なんかとってもくつろげる、素敵な家だ。あんな場所にこの大きな庭と邸宅。とても贅沢だ。
◆ 太宰府天満宮  福岡県太宰府市 
太宰府天満宮は菅原道真を祭る神社。903年大宰府で亡くなった後、葬ろうと牛車で運んでいた所、牛が動かなくなった。これは道真の意思だということでその場所にお墓を作った。その上に建っているのが現在の本殿だ。
菅原道真は学者・歌人の家系に生まれた。文章博士として活躍し、宇多天皇からの信頼を得て昇進した。宇多天皇が藤原氏をけん制する意味もあったみたいだが、右大臣にまで昇進した。894年遣唐使を中止、その他政治改革を行ったが藤原氏など貴族の反発にあい、901年、大宰権帥(大宰府の副長官、実質的な長官)として左遷された。左遷される際、道真を追って都の梅が飛んできたと言う伝説もあり、また九州の各地に道真が訪れたと言う伝説が残っている。
太宰府天満宮は学問の神様として有名で今も受験生が各地から押し寄せてくる。また、九州国立博物館の徒歩での入り口が太宰府遊園のそばにあり、そんな人たちも訪れ、かなり活況に沸いている。

志賀社1457年再建された古い社。

飛び梅

とび梅 咲いてる

九州国立博物館入口

巨木の森

参道

◆ 延寿王院   福岡県太宰府市 
安楽寺天満宮留守別当大鳥居家の宿坊で、宝暦4年(1754年)桃園天皇より院号を賜った。幕末、尊皇攘夷派の三条実美ら朝廷を追われた五卿がこの院に拠り、その間、西郷隆盛・高杉晋作ら尊王志士らが集まった。現在、西高辻宮司の家になっている。
◆ 浮殿  福岡県太宰府市 

水面にその建物の姿が移るので浮殿と呼ばれている。
◆ 光明禅寺  福岡県太宰府市 

臨済宗東福寺派の禅寺。鎌倉中期鉄牛円心和尚が創建したお寺。

←11面観世音
◆ 戒壇院(西戒壇)  福岡県太宰府市 
天下三戒壇のひとつ。761年に筑紫観世音寺境内に設置された。戒壇院というのは国が認めたお坊さんの資格試験を受けるところ。鑑真が日本にやってきて、754年奈良の東大寺内に戒壇院をつくり、その後下野薬師寺に東戒壇、そしてこの太宰府に西戒壇が築かれた。
内部には天竺・中国・奈良の土が奉納されている。

かなり年季の入った門。

字は書いてある通り。肉とか酒境内に入るを許さず。入り口の門に書いてある。別に持ち込まないけど、そういうのを食べまくり飲みまくりの私は入っていいのかな?

←本尊 盧遮那仏
平安時代の仏様が安置してある。
国の重要文化財になっている。

梵鐘 1701年 磯野七兵衛正慶 作

菩提樹

鑑真が持ってきて植えたらしい。
◆ 観世音寺 福岡県太宰府市
大宰府の庇護の下、九州中の寺院の中心となり「府の大寺」と呼ばれた。
白村江の戦い前、百済の国に出兵するため福岡にやってきた斉明天皇が朝倉で亡くなり、その子である天智天皇が弔うため観世音寺を建立した。
台風とか火事で大半が壊れてしまっているが、金堂と講堂が残っている。これは黒田藩が江戸時代に再建した物だと言う。
◆ 武蔵寺  福岡県太宰府市
天拝山のふもとにあるお寺で、九州で最も古いお寺といわれている。

経筒写経文供養塔→
お寺の裏山を登っていくとある。ちなみに立ち入り禁止で有刺鉄線まで張ってある。どういうこと?
108の大念珠
左にある大きな数珠を回すとからから音が出る。回しながらお祈りをしよう。108の煩悩を消し去る事が出来る。この間博多の
長者の富士
藤原虎麿が1,000年くらいに自分の姓にちなんで植えた。今度藤の花が咲く時期に写真取りに取りに行ってくる。
ここの藤は樹齢1,000年、つるが右巻きのノダフジ。
霊水授与所
霊水なのに、蛇口。ちょっと雰囲気でないな。こんこんと湧き出すのではない。だから水を出したら最後ちゃんと〆ましょう。
100年以上前の阿弥陀如来像。二日市温泉の川底の工事をしていたら出てきた。
紫藤の滝
太宰府に左遷された菅原の道真は無罪を訴え天拝山に登った。その際身を清めたのがこの滝だ。手前の古石塔1365年に作られたもの。
衣掛の岩→
身を清めた際に道真が洋服をかけたといわれている岩。

イヌマキ
マキ科の常緑高木樹。実が食べれるらしい。今度夏ごろに行ってみよう。
木材としては桶なんかに使うらしい。
◆ 御自作八幡宮  福岡県太宰府市
900年頃天拝山を参拝に行く際にこの地にやってきた道真が自ら彫ったものがご神体になっている。かなり立派な社殿だったらしいが、戦国時代末期の戦乱で焼けた。江戸時代初期、黒田藩が再興したが、明治初期再び消失。けれども、道真が彫った御神体はなぜか無事で今でも安置されている。
ちなみにそんな大切なものが収められているから、セコムだったかALSOKだったか、警備が入ってる。
◆ 白瀧稲荷  太宰府市
菅原道真が福岡に下向した際の守護神。ここも御神体は道真の手作り。本社は今でも京都の伏見稲荷に鎮座されている。
武蔵寺の奥の山を登っていったところにある。
◆ 大宰府政庁跡(都府楼) 太宰府市
古代大和朝廷の西ノ拠点として重要な役割を果たした大宰府。太宰府市にその跡地が広場として残っている。
当時朝廷の年貢を集めるのは大和朝廷と大宰府だけだった。大宰府は九州の年貢を徴収した。また、大陸との玄関口としてあるときは外交の窓口、あるときは防衛の要所としての機能を果たした。その重要性ゆえ「遠の朝廷」(とおのみかど)と呼ばれていた。でも平安時代には左遷といえばここ、という意味でも有名だ。菅原道真が最も有名だろう。

今は広場としてその礎が復元され残っているのみだ。休日は親子連れがフリスビーをしたり、ボール遊びをしたりしている。


東の役所跡

柱の跡が復元されている
◆ 水城(みずき) 太宰府市 
大和朝廷は朝鮮半島へ任那(後の百済)を通じて影響力を持っていた。ところが唐と結んだ新羅が半島を統一し朝廷の影響が及ばなくなった。そこで百済再興をたくらみ大和朝廷が朝鮮半島に侵攻。663年に白村江で唐の水軍と決戦となったが大敗した。
この直後、朝廷が大陸からの攻撃に備え作ったものが水城だ。とくに九州は大陸に近く、また、朝廷の出先機関である大宰府があったため、それを守るため、この辺には水城跡がいくつか残っている。
その中でも大宰府政庁に近いところの大きなもので、地名にまでなっている。
小高い丘と丘の間に土塁をつくり、その周囲には水を張り、中心には門を作った。今はただその土塁のみ残し、木が生い茂っている。水城の上を九州自動車道がまたいでいる。
認定理由
古代に大陸との戦に備えたその遺構が残っているのはすごい。しかもダイナミック。当時本当に大陸との戦の危機に直面していたんだな。木々が生い茂りながら残り、地名にもなっているところがなんかいい。
水城東門木樋
水城は、土塁の周りに堀をめぐらせたもので、それで水城といわれている。水城の水は御笠川から引かれたもので、引いた水は木樋(木で造られた水路、とい)を通した。外堀と内堀の間に水を通すため、土塁の地下を掘って水を内堀に流し込んでいる。
注:大宰府と太宰府の違い
大宰府は昔の政庁としての大宰府を表す時に使われます。
太宰府は現在の自治体名、天満宮などに使われています。
◆ 筑前国分寺跡  太宰府市
741年に聖武天皇が国家の平安を祈って、各国に国分寺を建立するよう命じた。その時できた筑前の国の国分寺がこれ。741年に命令がでて、この筑前の国はいつできたか記録は残っていないが、756年には記録が残っているので、そのころまでにはできたと思われる。
金堂・講堂・七重塔などを備えた立派な国分寺だったようだが、律令制の衰退と共に荒れ果てて行った。現在は綺麗なお寺がある。講堂や塔などは礎のみ残っている。

七重塔の礎

七重塔跡

七重塔10分の一スケール復元

八角灯篭のレプリカ

講堂跡
◆ 国分瓦窯跡  太宰府市

古代の窯跡。国分寺の上の方にある。日干し煉瓦が汲み上げられているアーチ形の構造。瓦が出土して、奈良時代から平安時代のものが出ている。
長い事ここで瓦を作って、大宰府政庁や国分寺など、古代の建物に供給していたようだ。
現在は保存するために埋め戻されている。
◆ 箱式石棺墓  太宰府市
箱式石棺は弥生時代から古墳時代に多く、九州から山陰で見られる形態。
これは太宰府の向佐野などから出土されたもの。コミセンみたいなところに保存されている。、

遠賀団印。軍団の印鑑
◆ 天満神社  太宰府市
国分寺すぐそばにある神社。